基礎研WEB政治経済学用語事典

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 本源的蓄積

   今日の世界を闊歩している資本主義経済はどこからやってきたのでしょうか?  資本主義的経済システムは、多額の資金と大量の労働力を一カ所に集め、生産材と労働力を有機的に組織し、生産技術を高め大量に生産し市場で大量に販売する事によって、資本の所有者はその手に多額の利潤を得ることを基本して成り立っています。しかし、こうしたシステムは一挙に出来上がったものではなく、数百年の長い時間をかけて出来上がったものでした。生産の素材となる資源や原材料、そして人々を、アジアやアフリカ、そしてラテン・アメリカなど世界の隅々から集め、ヨーロッパに資本と労働力を蓄積することから始まりました。  大量の資本の所有者が「さらに大量の資本」を積み上げることができるのは、生産手段から切り離された大量の労働者を雇い入れ、彼らの労働力を自らの資本の下で支配する事が出来るからです。『資本論』の言葉を借りるならば、「商品生産者の片方の手に集められた資本は、『もう片方の手に載っている大量の労働力』、すなわち『生産手段とは切り離された自分自身の皮以外に売るべきものを持たない大量の労働者の群の存在を前提として自己増殖を続ける』事が出来る」という事になります。([資本論第1巻24章]p.752)。他方、生産手段から断絶された労働者達は、自己の労働力を売る以外に生きる術を失い、生きている限り資本のもとに組織されて商品生産の為の労働をする以外にはない『悪循環の回転運動』の中に組込まれざるを得ないという状況になります。こうして生産手段を失った労働者を大量に排出する事から「本源的蓄積」は始まりました。  このように人々を彼のもつ生産手段から引き離し、労働力として資本に包摂する過程は、15?16世紀などの歴史的時代で終了したのではなく、さまざまに形を変えながらも、基本的には21世紀の現代まで存続しているものと考えられます。それは、貧困な労働者を資本の都合に合わせて自由に利用し富の蓄積をはかる生産方式として、今でも私たちの日常生活の中で体験している事です。否、社会全体が皆等しく貧しかった時代よりも、豊かになったと言われる現代の方が、働く人々は互いにバラバラに切り離され、ゴールの見えない競争を煽られることになります。隣人との少しの差異も社会的格差として実感され、孤独感に苛まれ、その心はさらに貧しくなり人間としての尊厳までも奪われる危険性に晒されるところに、今日的な新たな問題が発生するのです。資本主義的生産システムによれば、社会の一方の極に富が蓄積されればそれだけ、他方の極には貧困が蓄積されるという構図をもつようになっていることを否定できません。  マルクスは、こうした二極分化への傾向とそこに潜む問題点を明らかにするために、いつものように、資本主義的生産のもっとも単純で基本的な姿を探し求める事から研究を始めました。まず資本主義的生産の前史または萌芽期の「原罪」まで遡って行き、「いわゆる本源的蓄積」の歴史的過程を探り当て、そこから資本主義的生産の本質に迫るという研究方法をとることになりました。ただし、聖書が「どうして人間は額に汗して食うように定められたか」を明らかにする為にその「原罪」まで辿り着いたのとは逆に、マルクスの探し求めたのは「どうして少しもそんな事をする必要のない人々がいるかを明らかにする」(p.741)ことでした。すなわち、この「原罪探し」の目的は、大量の資本をその手に抱え込み、大勢の労働者を雇い彼らの生み出す剰余価値をがっちりと自らの手に収める事の出来る人々がどのようにして生まれたか」を明らかにする事でした。こうして他者の可能性を奪い取り、自らの可能性の上に積み上げ増大させることに合法的に成功した人々は、次第に社会の主導権を掌握していきました。  いうまでもなく資本主義的生産方式は、この時代に先行する封建制の時代から生まれました。そして「そんな事をする必要のない人々」もまた、歴史的に生み出されました。この生産システムの基本となるべき資本の所有者と労働力の所有者の分離は、決して自然現象のように生まれたのではなく、征服、圧制、強盗殺人に至るまでのあらゆる暴力が介在する事によってなし遂げられたことに注意が必要です。24章が注目されるもっとも重要な点は、この過程を単なる過去の物語としてではなく、資本主義的生産の出発点として位置づけ探求する事によって資本主義的生産そのものの歴史性が示され、やがて来るべき未来の社会への方向性まで追求されている点です。